漂流者から国民的俳優へ――斎藤工が「もがいていたあの頃」と、バックパッカー時代の知られざる原点
斎藤 工 若い 頃の彼を知る者は、今のマルチな活躍を予想できただろうか。俳優としてだけでなく、映画監督、移動映画館の主宰者として、日本のエンタメ界で唯一無二のポジションを築いた斎藤工。しかし、その華やかなキャリアの裏には、既存の「イケメン俳優」の枠に収まりきらない、泥臭くもがいた青春時代があった。
多くのファンが現在の色気漂う彼に魅了されているが、実は斎藤 工 若い 頃のバックパッカーとしての放浪経験こそが、彼のクリエイティブな感性の土台を作ったと言われている。高校時代からモデルとして活動しつつも、常に「ここではないどこか」を探し求めていた彼の軌跡を追いかける。
パリコレからバックパッカーへ:モデル時代の葛藤と「何者でもない自分」

15歳で自らモデル事務所の門を叩き、ショーモデルとしてキャリアをスタートさせた斎藤。しかし、華やかなランウェイの裏で、彼の心は常に乾いていた。10代後半から20代前半にかけて、彼はバックパック一つで世界中を旅することになる。アジア、ヨーロッパ、中東。旅費を稼ぐために現地で働き、怪しげな安宿に泊まる日々。この過酷な経験が、彼の「人間力」を鍛え上げた。単なる美男子ではない、どこか影のある独特のオーラは、この放浪生活の中で培われたものだ。
『テニミュ』がもたらした転機:どん底のインディーズ時代を支えたもの

帰国後、俳優としての本格的な活動を始めるも、順風満帆とは程遠かった。オーディションに落ち続け、アルバイトで食いつなぐ日々。そんな彼にスポットライトが当たったのが、ミュージカル『テニスの王子様』への出演だった。いわゆる「テニミュ」の初代氷帝学園・忍足侑士役。ここで熱狂的なファンを獲得したものの、本人は「これで終わってはいけない」という強い危機感を抱いていたという。人気に甘んじることなく、インディーズ映画や深夜ドラマなど、泥臭い現場に自ら飛び込んでいった。
『昼顔』でのブレイク前夜:遅咲きと言われた男の牙

世間が「斎藤工」という名前を認知したのは、30代に入ってからのことだ。2014年のドラマ『昼顔〜午後3時の恋人たち〜』。主婦を惑わす高校教師役で、日本中に「セクシーな俳優」としてのイメージを決定づけた。だが、これは彼にとって計算されたものではなかった。むしろ、遅咲きと言われた長い下積み時代があったからこそ、求められる役割を客観的に演じ切る冷徹なプロ意識が育っていたのだ。いつでも消えてやる、という覚悟が、逆に彼の魅力を倍増させた。
映画監督「齊藤工」のルーツ:なぜ彼はカメラの裏側に回るのか
近年、彼は「齊藤工」名義で映画監督としても高い評価を得ている。劇場のない地域に映画を届ける「移動映画館」の活動も精力的に続けている。この原点もまた、彼の若い頃の体験に紐づいている。途上国を旅した際、映画が人々に与える純粋な喜びを目の当たりにしたのだ。演者としてのエゴを捨て、映画という文化そのものを次世代に繋ごうとする姿勢は、彼がかつて旅先で見つめた「世界の現実」から地続きになっている。
2026年の今だからこそ響く、彼が若者に送り続けるメッセージ
2026年現在、40代半ばを迎えた斎藤工。かつての「尖っていた若者」は、今や業界のシステムそのものを変革しようとする頼もしい先駆者となった。彼はインタビューで度々、若い世代に向けて「迷ったら遠回りをしてほしい」と語る。最短ルートで成功を収めることが正義とされる現代において、彼の歩んできた泥臭く、遠回りだらけの道程は、何よりも強い説得力を持って私たちに語りかけてくる。 (出典: 斎藤 工 若い 頃(Yahoo!ニュース))